成田亨「MANの立像」武庫川進呈版レプリカ

成田亨 MANの立像 尼崎

2016年、兵庫県尼崎市で行われた展示会のチラシ。実物よりも若干コントラストを強く加工しているようで、黄色や青が強調されている。

[はじめに]

以前に再現した青森県立美術館所蔵の「MANの立像」はTVでも紹介されたりしていて有名ですが、それとは別に「武庫川進呈版」と呼ばれるバージョンが存在することをご存知でしょうか。青森県立美術館の学芸主幹・工藤健志氏に直接問い合わせて聞いたところ「あれは、成田さんが幼少期に過ごした地域のご友人に向けて個人的に製作した一体で、特徴的な青の模様など含めペイントもすべて成田さんの手によるものです」と回答頂きました。また巷で[樹脂製]と言われている材質についても「粘土原型から複製したレジン製です」とご教示下さいました(工藤主幹は、私のようないち造型家の突然の電話インタビューにも快く対応下さり、成田作品への深い造詣と愛情に溢れる方であることが受話器越しに伝わってきました。いつの日か青森を訪れ、直接お目に掛かりたいと思っております)。

大日本工房 MANの立像

大日本工房が製作した「武庫川進呈版」のレプリカ像。青のラインや色味の強弱さえも忠実にトレース。

[武庫川進呈版を知る]

このバージョンを知る上で参考となる記事があるのでここに引用します。

兵庫県の尼崎を後にし、成田は14歳ごろから2年間、神戸で暮らした。終戦の年、2度神戸空襲に遭い、再び父母の故郷青森へ避難した。8~14歳を過ごした尼崎の印象は深く胸に刻まれた。支えとなったのは、当時の小学校の担任の言葉だ。左手のことで将来を悩んでいると、「野口英世のように、手が不自由でも立派になっている人はいる。成田は絵や朗読もできるじゃないか」と励まされた。恩師の言葉が芸術家を目指すきっかけとなった、と成田の思いを家族が述懐する。武蔵野美術学校(現武蔵野美術大)を卒業後、特撮映画「ゴジラ」でアルバイト。ゴジラに壊される建物のミニチュアを手掛けた。1965年、円谷プロダクションへ。技術やセンスが評価され、「ウルトラQ」の特撮美術を任された。デザインはウルトラマンだけではない。セミ人間をモチーフにしたバルタン星人、頭部をがま口にしたカネゴン…。誰も見たことのない個性的な怪獣を生み出し、家族によると、189体をデザインしたという。68年、考えの相違から、ウルトラセブンを途中で降板。その後、数々の新しいウルトラマンが登場したが、そのデザインを評価しなかったという。成田はシンプルなデザインにこだわった。成田は60代になると、尼崎に帰り、武庫川町を何度も訪れるようになった。88年、母校の流れをくむ尼崎市立西小学校の創立50周年記念式典に出席。武庫川駅周辺の地域活性化に取り組む目沢隆治(りゅうじ)(68)と出会った。「作家として縁ある地に作品を残したい」。成田は目沢と意気投合し、河川敷にウルトラマンやセブンの彫像を作ろうと提案した。見本として樹脂製ウルトラマン像(高さ約44センチ、奥行き約29センチ、横幅約20センチの)を目沢に贈った。うっすらと青色に彩られた像は、体に一切装飾がない。成田が好んだシンプルなデザインだ。妻の流里(るり)(83)=東京都=は「すごく貴重な作品」と話す。90年、成田は京都府大江町(現福知山市)から大江山に鬼のモニュメントを制作するよう依頼を受け、武庫川の計画は中断。その後、脳梗塞を患い、武庫川の計画を実現しないまま他界した。大江山のモニュメントは、酒呑童子、星熊童子、茨木童子。茨木童子は、尼崎に伝わる鬼でもある。俳優で息子のカイリ(46)=東京都=は父の胸の内を推し量る。  「父は昔、武庫川にちなみ、『ムコ』というペンネームを使っていたことがある。大江山の像も、尼崎を思って作ったのだろうか」(敬称略)(山脇未菜美)   

※神戸新聞NEXTより引用しました

注目すべきは「『作家として縁ある地に作品を残したい』。成田は目沢と意気投合し、河川敷にウルトラマンやセブンの彫像を作ろうと提案した。」という部分で、続いて「見本として樹脂製ウルトラマン像を目沢に贈った。うっすらと青色に彩られた像は、体に一切装飾がない。成田が好んだシンプルなデザインだ。」という箇所。そう、これこそが成田先生が故郷のためにと手掛けた「理想のウルトラマン像」そのものなのです。流里夫人が語るように「すごく貴重な作品」であることは間違いありません。

大日本工房 ウルトラマン

河川敷で撮影された立像と、成田氏によるウルトラマンデザインの初稿。

銀と赤のあの姿がウルトラマンのアイデンティティですが、実は成田氏は当初「宇宙人感を出すために青を」と望んでおられたことは有名な話です。そしてこの初稿デザインをみると、青のラインだけでなく主要部分がうっすら黄色味がかっていることもわかります。この配色を武庫川進呈版で再現なさったということは、はやりこの彩色こそが氏の理想とするものだったのでしょう。

[彩色の検証]

MANの立像 尼崎

展示用の強いライティングのために特徴的な黄色が飛んでしまい白っぽく見えます。※毎日新聞地方版より引用

あまらぶ 成田亨資料展

やはりライティング次第で色味の印象が全く異なることがわかります。※画像提供CB氏

大日本工房 ウルトラマン

大日本工房によるレプリカ

この貴重な個体を再現するに当たっては、前回の青森所蔵版同様にT.R.Iより販売されたキットを使用しました。パーツ分割線の隠蔽と強度対策を丁寧に施し、成田氏の彫刻したテクスチャを侵さぬよう細心の注意を払っています。そして、このレプリカを完成させる上で最も重要な「彩色」に関しては、私と工房長eno氏の間で幾度となくディスカッションを重ねました。

[ペイント解説]

今回のレプリカ制作にあたってペイントを担当した当工房・工房長eno氏による解説です。

当工房で「虹版」とか「尼崎版」と言われていたVerです。マンの立像を突き詰めていく過程で必ずや通るであろう道であり、同時に、ここまで手のかかる仕上げもないと言えるくらいの超難関カラーです。成田先生自身が仕上げた他の立像がほぼトーンレスの単色仕上げに対し、この個体のみ塗り分けが施されたカラー仕上げ。しかもウルトラ宜しくのシルバー&レッドでなく、イエロー&ブルーというビビッドなトーンで構成。ネットやその他媒体で見かける画像ですと反射効果で白飛びし、あたかもグレイ寄りのホワイト(まるで石像)に見えます。ですが紛れも無く尼崎版はイエローです。 立体物やデザイン画含め、成田作品の様々な見受けられるアクセント、それは柑橘系のイエローとオレンジであります。

成田亨作品

成田氏が好んで用いた柑橘系のイエローとオレンジのアクセント。

尼崎版の立像にも部分的にかなり明るいイエローオレンジが落とし込まれていて、再現していくと「あぁなるほど」と言った部分に的確に色が挿されていることが解ります。全方位から視覚誘導ポイントにちゃんとアクセントが施されているのです。対してブルーについてですが、退色が進行しているのかグリーン寄りになって、部分的にかすれてしまっています。このブルー・グリーンがまさに上記イエロー・オレンジと補色となって絶妙なコントラストを成しているので、もともと狙った色味である可能性は大きいです。

銀鏡 ウルトラマン

定着力と皮膜力アップのため、下地にウレタンを施し、さらに一度銀を乗せて再度ウレタンコートをしてから塗装作業に入っております。あたかもブロンズ像に彩色したような圧倒的な濃厚感です。触感に関してもソフビ製の肉薄感が払拭されているので、この入念な下地造りでさえもアートスタチューのオーラ構築に一役買っております。

初・マン 成田亨

初・マン 成田亨

2色の塗り分けですが、成田先生の初期設定画とほぼ同位置にラインが来ているので、資料を精査しながらマスキングを施し塗装に入りました。ラインが左右で全く違う位置にあったりするので、そこら辺もあえて再現しアシンメで塗り分けしてあります。脚に行くにつれて退色が進行して色が飛んでいるようなので、かすれ具合と共に再現してあります。

成田亨 ウルトラマン 青

成田亨 ウルトラマン 青

かなり入れ込んだ塗り作品だったので、いまでは私の中で、「ウルトラはこのイエロー&ブルーだね」という感じです。(大日本工房・工房長eno)

[最後に]

かくして完成をみた武庫川進呈バージョン。青森県立美術館所蔵のオリジナルモデルに込められたのが「彫刻家・成田亨の魂」とするならば、このバージョンには「アーティスト・成田亨の故郷への想い」または「ウルトラマン生みの親としての理想」のようなものが込められているのだと感じます。

今回のレプリカ製作に当たっての検証・考察にご協力頂いた青森県立美術館の学芸主幹・工藤健志氏と画像提供下さったCB氏には心より感謝を申し上げます。

MANの立像 レプリカ

MANの立像 レプリカ

MANの立像 レプリカ

MANの立像 レプリカ